スタッフ詳細

Mikako Okuno, RN
奥野 光香子
カリフォルニア州正看護師

Motoko Yoshioka, IBCLC
義岡 素子
国際認定ラクテーションコンサルタント
奥野 光香子
日本生まれ。茨城県つくば市出身。
生後2ヶ月〜3歳までカリフォルニア州で過ごす。
幼い頃から両親には「視野を広く持て」と言われ続け育つ。
16歳の時、コネチカット州で1年間の高校留学を経験。大好きな日本を外から見つめることで今まで見えていなかった角度から日本を知ることとなり様々な逆カルチャーショックを受ける。
また、留学中に出会った看護師に感動し、漠然と「アメリカに住む日本人の役に立てるような看護師になりたい」と考える。
看護学生時代の長期休みには、毎年、バックパックで貧乏旅行を実施。「若いうちにしか出来ないことをしよう」の合言葉で、親友とマレーシアのジャングル・インド・キューバなどへ出かけ、現地の人たちと触れ合う機会を大切にしてきた。インドへはアフロヘアーで行き、現地衣装を着ていた為、観光客に“地元の民族”と間違えられ写真を撮られた過去を持つ。
看護師になってからは、小児科・消化器外科・循環器科・訪問看護・終末期看護など多分野にて10年以上看護を経験。保健師として母子保健にも携わり、子どもの健診・育児相談・マタニティークラス・虐待予防/対応と地域連携の経験も重ねる。
2008年、結婚を機にハワイへ移住。
2010年、妊娠32週の大きなお腹で米国看護師国家試験を受験、合格。ハワイ州正看護師としてクリニックやホスピスに勤務。初めていただいた給料は$300であったが、アメリカ社会に自分の存在を認めてもらえたかのようで給料明細を拝むほど感動したのを覚えている。
2012年、南カリフォルニアへ引越し。言葉の壁で妊娠期間中に何の予備知識も入れないまま飛び込むように出産されたり、乳腺炎や育児で右往左往したりする日本人ママ達の相談に乗るようになる。
2017年末、信頼できるパートナーの素子に出会えたことでファミサポの活動を決意する。
経歴
北里大学看護学部卒(看護学学士)
筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程前期修了(ヒューマンケア科学修士)
看護師
保健師
カリフォルニア州正看護師 License#: 827994
日本モンテッソーリ綜合研究所0-3歳児認定教師: #30433
義岡 素子
日本生まれ、大阪育ち。
『小さく産んで大きく育てる』という言葉があるが、生まれてからすくすくと母乳で育ち、まさしく病院知らずの健康優良児。
子どもが大好きだったことが理由で保育士を志すが、高校の恩師に「人を看る仕事が向いている」と諭されたり、親に赤ちゃんが好きな私に助産師になることを勧められたりして、なんとなく看護学校へ入学。同級生はとても立派な動機を持って看護職を目指していることに動揺を隠せない中、徐々に人を看ることの奥深さを理解するようになる。
産科実習で分娩に立ち会った際、その病院が偶然私の産まれた病院だったこともあり、当たり前と思っていた妊娠出産の大変さと素晴らしさを感じ、親への感謝の気持ちと感動で全身の震えが止まらなかったことを覚えている。
助産師になってからは、年間200件以上の分娩介助の傍ら、若手助産師の指導も行う。
在職中、初の海外旅行でハワイに魅了される。それからは、アメリカをはじめ、カンボジアやエジプトなど今しか行けないと思った国を助産師友達と旅するが、その度に英語が話せないことで悔しい思いをする。
ついには仕事を辞めてカナダへ留学。
現地の高齢初産婦さんの分娩に立ち会わせてもらう機会が与えられ、日本との医療の違いに興味を持つ。中でも産後の看護は日本の方が断然素晴らしく、産後の母子のケアを何かの形で海外でも広められたらと強く思うようになる。
その後日本に戻り、累計16年間助産師として活動。分娩介助総数は、1000件を超えた頃から数えるのを辞めた。
2014年結婚を機に渡米。
自身の妊娠出産では、日本で当たり前のことがアメリカでは違うことに戸惑う。いくら情報が溢れている今日でも、母国語で受けられるケアに勝るものはないと実感する。
また自らの母乳育児を通して、その素晴らしさを再認識するようになる。
産後10日目に、IBLCE(国際認定ラクテーションコンサルタント)を受験、合格。
妊娠中から産後の母乳栄養を始め育児全般に関してお手伝いができるよう、皆様の生活をサポートできる活動をしていきたいと考えている。
経歴
国立近畿中央病院附属看護学校卒
国立大阪病院附属看護助産学校卒
看護師
助産師
国際認定ラクテーションコンサルタント IBCLC#: L-117970